3月11日、遅く起きた私の寝ぼけ眼に飛び込んできたのは泥水に浸食されて行く畑と家々だった。息子からの電話でテレビを開けたのである。呆然とただただ眺める事しか出来ない。関東の親戚に電話をしても通じず一日中ニュースを見た。地震の詳細が解るにつれ、やりきれない悲しみ、そして天災とは言い切れない人災でもある原発の事故。
2011年「世界」1月号の特集「原子力復興と言う危険な夢」の中で葉上太郎氏が、「原発頼みは一炊の夢か」と福島県双葉町大熊町にまたがる原発に関する記事を書いている。財政難からの脱却の為に原発を誘致、次々と建設した結果町は裕福になった。が、電源交付金は一時的な物であり、原発の固定資産税も年々落ちて行く。 6基有る原発に更に2基の申請をする一方原発頼みの財政では良く無いと気付き、原発以外の産業を育てようと努力し始めた所だった。一番最後に葉上氏は双葉町は今運命の分かれ道にいる、と締めくくっている。このような運命になるとは誰が想像しただろうか。 タマラ