人は何故自分や他人に足かせをはめたがるのだろうか。何歳だから、長男、長女だから、親だから、子だから、上司だから、部下だから、XXXXXしなければならない。そうだろうか?
私が若い時、英語で”MUST”(ねばならない)を連発していた時、或る友人がこう言った。
人生に於いてMUSTは一度だけ。死ななければならない、それだけだ。それ以外は他人や自分を縛る言葉。」月並みだが目から鱗であった。勿論すぐ変われる訳では無かったが徐々に物の見方が変わって行った。
医者の子が医者になる、音楽家の子が音楽家になる、環境が整っているのだから自然にそうなるのは構わない。が無理強いすれば歪みが出る。
結婚しかり。20歳、30歳、40歳、早く結婚したからと言って幸福が比例するとは思えない。離婚率50%近い昨今を鑑みても結婚が必ずしも幸せを約束していない事は明らかである。 そして結婚すると今度は子供。子供はまだか、孫はまだか、と圧力をかける。子供は親の持ち物ではなく居れば良いと言う物では無い。古人は、子は国の宝と言ったが私は地球の宝と言いたい。国や人種は関係ない。そして命を創造すると言う事は子供を健全に育てる重大な責任を意味する。言うまでもなく赤ん坊は泣く事が仕事である。泣く事によって意思表示をしている訳である。自分がかつて赤ん坊であった事を棚に上げて虐待する等もっての他である。精神的、経済的等環境を整えて後子供を産む。自分達が親にされて嫌だった事、良かった事、思い出して欲しい。そして、自由に、他人と比べたりせず、無理の無い生き方を選んで欲しい。 タマラ